お店について 2021.02.01

西喜商店の歴史とこれから

こんにちは。西喜商店の近藤です。

家を片付けていたところ、昔の写真が出てきましたので、良い機会だと思い西喜商店の歴史を簡単に振り返る記事を書いています。
当店は京都中央卸売市場の関連棟にて家族経営の八百屋として、場外売店を60年以上、曽祖父の創業から数えると90年以上に渡って営んでいます。

大正時代末期に私の曽祖父が創業したわけですが、当時は今の二条駅付近で八百屋を営んでいたと聞いております。私が継業した時には当時のことを知る人は誰も生きていなかったのであんまり詳しいことがわかっていません。西院(自宅の地名)の喜之助(曽祖父の名前)で、「西喜」という屋号になったそうです。

※恐らく二条にあった店舗。この人は僕の祖父の弟です。

戦後、祖父が京都中央卸売市場の場外売店の権利を取得して、七条通沿いに二号店的に開業。当時はスーパーマーケットのない時代ですから、ものすごい繁盛ぶりだったそうです。
昭和末期までは、七条通というのは錦市場と並ぶ京都最大の買い物所でした。その後父親が更に継業するわけですが、年末は正月商材の買い出しですれ違えないほどの人出だった、みかんは市場から段ボールが50ケース来たら着いた途端に売れてなくなった、など今ではにわかに信じがたい武勇伝を聞かされます。

※七条通時代の店舗。男の子は僕の叔父二人。多分父親は生まれる前か赤ん坊。

そんな昭和バブルも弾け、スーパーマーケットの台頭で八百屋の小売業は衰退。日本中で商店街がシャッター街と化し、八百屋という言葉は昭和の漫画に残る古い仕事となり、七条通りも例に漏れずひっそりとした商店街になりました。当店も祖父の死去のタイミングで小売は辞め、父親は業務用の卸売で十分な稼ぎがあったので配達での卸売に専念することになりました。

そんな流れで僕も大学を卒業し就職したので、特に跡を継ぐ気もなく、父親はのんびりと仕事を続けるつもりだったと思います。
ところがどっこい、2010年代に起こったローカルカルチャー&地域移住ムーブメントに大いに刺激を受けてしまった僕が突然の心変わりで跡継ぎすることになります。
跡継ぎにあたっては、父親の反対もあり相当な苦労、苦心がありましたが、長い長い親子喧嘩の後になんとか継業することができました。

2015年に継業後、小売業を再開。最初は当たり前ながら閑古鳥が鳴きながらの営業でしたが、徐々に事業も軌道に乗り、現在は小売3割、飲食店や業務用の卸売7割くらいの売上比率でなんとか安定して事業を続けられています。

おかげさまで商売としては小さいながらも八百屋としてはいい感じになってきたと思って仕事をしています。
仕入れについては、父親の代までは100%京都中央卸売市場からの仕入れでした。
僕が継業後、全国の農家さんとの繋がりを活かし、産直仕入れも増やしています。
最近は京都オーガニックアクション(通称KOA)との連携も強めています。
主に京都府北部の農家さんからの野菜の物流について独自便を構築して、農家さんから市場を通さず直接八百屋に納品できる仕組みを作っています。市場に納品できるほどの量はない、でも地元の人に食べてもらい鮮度の良い、あるいは少量の珍しい野菜を取り扱っていきたいなって思っています。

5年間続けたことで知識も経験も人脈も蓄積されてきて、これからというところでコロナ渦に突入しました。
八百屋という最も市民の皆様にとって身近な商材を扱っている身として、みなさまの体の中に入る野菜や果物についての情報を市民目線で伝えることも八百屋の役割であると実感していますし、潜在的なニーズが多いことも認識しています。
「飲食店が休業になる中で野菜や果物って余らないの?」
「フードロスが加速するのでは?」
「農家さんは困ってないの?」
「何か自分にできることは無いの?」
と、気になることも多いと思いますので、もしご質問があればお気軽にご連絡ください。僕はオープンな八百屋を志しています。

twitterのDMか
https://twitter.com/nishikisyouten

インスタのDMが手っ取り早いと思います。

https://www.instagram.com/nishikisyouten

野菜を通じて人と人をつなげる楽しい八百屋を目指しています。
これからもどうぞよろしくお願い申し上げます。