お店について 2022.05.09

新入社員海部の自己紹介!

はじめまして!4月から西喜商店で社員として働いております海部登生かいふとういと申します!

知ってくださっている方もいるかとは思いますが、実は2021年の2月からアルバイトとして働いていました。
フルタイムで働くことになったこの機会に皆様に少し丁寧に自己紹介をさせていただきますのでお付き合いください!

1998年生まれの今年24歳。趣味は料理、写真、スポーツ!特技は阿波踊りです!
阿波踊りで察しが付くとは思いますが、出身は徳島県です!
その南に位置する牟岐町、人口4000人弱の小さな町の生まれです。
徒歩5秒で山、1分で海という自然豊かな場所で育ちました。野生動物も身近な存在だったので動物はかなり好きです!
徳島にゆかりのある人ならご存じかとは思いますが、名字の海部は地名で、出身の牟岐町は海部郡に属しています。
おそらくご先祖様は領主、そして海賊なんだとか…。詳しい話はお店でお答えします!
母と姉が日本舞踊をしていたこともあり、日本文化、特に歌舞伎が好きです!

スポーツはほぼほぼなんでもできますが、部活やクラブ、サークル経験としては水泳、野球、ハンドボール、陸上、バスケです!
陸上は8種競技で徳島県2位になったこともあります!
中学校では生徒会長を務めさせていただいたり、高校でも委員長を継続して務めていました!自分でいうのもなんですがかなり真面目だと思います!

ではここからは西喜商店に入社するまでの僕自身のストーリーを話していこうと思います!

小学生のとき、現在築85年になる実家で過ごしていたことや東日本大震災の影響で建築家という職業に興味を持ち、高校受験で、土木をメインとしながらも建築にも触れられる徳島の阿南高専という5年制の工業専門の学校に進学し、学寮と呼ばれる学校の敷地内にある寮で高専生活を過ごしていました。学生が自治を行っており、しかもかなり規則が厳しいことで有名でしたが(厳しい規則の話はかなり盛り上がるので時間があればお話しします!)、4年半生活させていただき、副寮長も経験させていただきました。

そんな中、高校2年生で参加したHLAB Summer Schoolをきっかけに地元を通して町おこしや地域への興味を持ちました。
よくある話だとは思いますが、参加者の中の県外から来た高校生や海外の大学生たちが僕にとって当たり前の海や山の景色や鱧やカツオなどの料理にかなり感動してくれました。その姿を見て地元は実は魅力的な場所だったんだと気づかせてくれたことがきっかけです。
その後、先ほどのHLABやNPO法人ひとつむぎといった教育事業を中心に地元への貢献活動をしながら、いくつかの町おこしに関するプログラムに参加しながら知見を広げていきました。
また20歳になる記念で、ママチャリで600㎞を旅してみたりとアクティブに行動してました!

高専卒業後は、デザインの強い京都工芸繊維大学に3年次編入(実際は編入学時に2回生から授業を取り始めたため、入学と同時に自主留年みたいな形になり学年のギャップイヤーが発生しています)しました。
このまま建築家を目指そうと考えていたところ、建築職能論という講義をきっかけに僕の考えは変わっていきました。
ある先生が
「建築家がまちを壊すことがある」
とおっしゃっていて、僕にとっては町をよくするために目指していたものだったので衝撃を受けました。
その後、その言葉の意味や講義を通して、町をよくするためには建築家を選ぶ側にならないといけないと考えはじめました。
そして思いついたのは地元の町長になることだったのですが、あまりにも突拍子のないことだったので、
まず、これまで知り合った大人の方々に相談のメッセージを送りました。
そんな中で人生のターニングポイントとなった田村篤史さん(以下、田村さん)との出会いがありました。
西喜商店近藤貴馬さん(以下、貴馬さん)も関わっている京都移住計画の代表の方です。
1度イベントで関わらせてもらったことがあったくらいだったんですが、相談を持ち掛けたところ、お仕事を見せてもらえることになりました。
それからは田村さんのお仕事に同行させてもらいながら、キャリアを見つめ直し、長い時間をかけて壁打ちをさせてもらいました。
頭が固いのでなかなか自分なりの道筋を見つけ出せず、今思うと貴重な経験と田村さんの貴重な時間を無駄にしたかもしれないと後悔しています。
この期間に田村さんから
「登生は過去の経験と未来の計画の話が多いから、今何がしたいかとか今感じていることを大事にしたほうがいいよ」
と言われました。
正直「今」を大事にすることがいまいちピンときてませんでした。

そんな中で、海外4カ国に1か月かけて1人で旅に出かけました。新型コロナウイルスが蔓延する本当に直前でした。


この期間で、あまり計画をせずに旅していたことで、今見たいもの、今食べたいものを素直に感じ取れていて
「今」を大事にする感覚をつかみ始めていました。
この感覚で何がしたいか考えたときに、現地の大衆食堂の空間がとても素敵で、こんな空間を作ってみたいと考えるようになりました。
その後帰国して、農家さんと話す機会があったりと、「食」への興味関心が膨らんでいきました。

しばらくして、田村さんから新しいプロジェクトへのお誘いを頂きました。
それが、貴馬さんも役員を務めるQUESTIONビル8階DAIDOKOROで(株)Q’sが行う美食倶楽部でした。
ここでようやく貴馬さんに出会います!

僕はこのころ、飲食店ではなく食の源泉に近いことを知れる場所で働いてみたいと考えていたこともあり、
貴馬さんが西喜商店初の家族以外の人を雇おうかなと話していたことを聞きつけ、
やってみたいと話をしたところ、アルバイトとして働くことになりました。

八百屋の仕事は普通では経験できないことが多く、
実際に青果流通を担っている感覚を納品先の方々やお店に足を運んでくださるお客様との会話の中や
市場の中で過ごすことで徐々に掴んでいたのが楽しいと感じていました。
ロスになる野菜についても貴馬さんの活動や市場で廃棄されるものを肌で感じられる場所に入れたことで自分事に置き換えることができ、やりがいも持つことができました。

その後、正式に西喜商店の社員となりましたが、この決断を決定づけたのは、以前言ってくださった貴馬さんの何気ない一言でした。
季節が夏になり、多くの野菜が傷みやすくなった頃、
傷んだ水菜を取り除いて、きれいなものだけを販売用に袋詰めしていました。
よくあるこの作業なんですが、それが終わったときに、
「今日も地球を救ったな」
と言われました。最初は?マークが浮かんでいました。
でもこの言葉をぱっと出せることにとても関心しました。

僕は町をよくしたいとはいっていましたが、大きなことはできないと考えています。
僕の手が届く範囲、僕を知ってくださっている人に想いが届けば、
人は変わって、やがて町にも繋がると信じています。
ゴミに変わるものを地道な作業で消費者の手に届くものにする。
自分の想いと仕事とが連動した言葉でした。
これを実践している貴馬さんと仕事がしてみたいと思ったのが新卒で西喜商店に入社した大きな要因です。

将来八百屋を作りたいの?とよく聞かれますがそうではありません。
いずれ徳島には帰りたいと考えていますし、まだまだ模索中です。
ただ、西喜商店や貴馬さんを通じて学べることや経験できることが今の自分にとっては重要で
何より自分事に感じれる仕事ほど楽しいものはありません!
これで僕の自己紹介を終えたいと思います!
長々とお付き合いいただきありがとうございました!
これから西喜商店を盛り上げていきますので今後ともよろしくお願いいたします!